2015年05月29日

いしく召しあがるコツ

 きっとご批判がくるだろうことを承知で、しかし、その批判を受けて建設的な対話に発展することを願って、いか、率直な感想を記しておきます。
 でも、もっと心配なのは、「軋轢」を避けることを第一優先するような、風土を感じさせる日本では、批判ではなく「無視」の可能性の方が高いかもしれない。でも、自分が忘れないための備忘録としても記します。
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 田舎から兄が、新茶を農家から買って送ってくれました。ありがたいことです。それで、気になっていた、その新茶を入れた茶袋を見たら、こうありました。

「おいしく召しあがるコツ」として
「お湯はグラグラわかして」
「キュウスを用い、茶の葉は多い目に」
「玉露は湯を充分にさまして、煎茶はややさめ加減に注意して」
「しばらくして茶碗にこうごにつぎます。キュウスにお湯を残さないように」
と、各「」の上にはそのイラストが描かれています。

しかし、お茶はペットボトルで売っているものと思っている子ども(その親の中にも)いるという時代状況の中で、上記の言葉をどれほどの消費者が理解するのでしょうか、かくいう私も、自身がないのです。

「グラグラわかす」は、数分は沸騰させたままにしておくという意味でしょう。
「キュウス」は急須でしょうと。ところが「茶の葉は多い目に」は、おそらく多めのこととしても、もともと基準を持たないでしょうペットボトル派は、少なめも多めも分かるはずがないと思うのです。
同様に、「玉露は湯を充分にさまして、煎茶はややさめ加減に注意して」に至っては、川根では玉露はほどんとないので無視できるかもしれないとしても、辞書を引けとも読めるのが、少し気になる表現ですよね。そして、その先の「充分にさまして」は、何度くらいなのかの目安が分からないでしょう、と思うのです。ペットボトル派にとっては、冷蔵庫で冷ますも、「さます」なのですから。同様に『ややさめ加減』って、もう混乱の極みでしょうと。
 もちろん、このことを、直接、故郷の方々に声に出して言えば、「もう、いい。そんなに文句を言うなら、飲まなくてもいい。せっかく作ったお茶なのに」と、拒否反応がでそうですが。しかし、私も子どもの頃には、毎初夏には、小学校の「お茶休み」には、隣近所のお茶まで手積みの手伝いにいっていましたから、例えば100グラムのお茶が、お客さんの手に渡るまでに、どれほどの手間ひまを掛けているか知っているつもりです。だからこそ、その農家や茶工場の方々の手間ひまに値するように、お客さんにも、また差し上げたおいしく飲んで欲しいと、農家でなくとも願っているのです。

 実は、こういうことを強く意識するようになったのは、20年程前に旅行ガイドブックの仕事をしたときからだと思います。私はがガイドブックの改訂版のために、現地取材したのです。そのとき驚いたのですが、私が書き換えるために持参した、前の版のガイドブックには、例えば「◯◯ホテルは、駅からも近く、格安。」などの表記が並んでいたのです。ガイドブックを手に宿を探す方の大半は、その地が初めてだから宿探しにガイドブックを手にしているはずです。その初めての地で「近い」とは、どんな意味があるのでしょうか。それでなくても「近い」も「遠い」も極めて主観的な表現ですから、読者によって感覚はまちまちのはずです。
 徒歩10分を近いと思う旅行者もいれば、重いバックパックを背負った旅行者には、歩きたくはない距離に感じるかもしれません。はっきりしているのは、数字化して示せば、どうするかの判断は読者、旅行者にゆだねられるでしょうということ。だからこそ、私は現地取材の意味があるのだろうと思っていました。そして、私の実測にもとづいて「◯◯ホテルは、△△駅の中央口改札から徒歩で約10分、タクシーなら1(ワン)メーターで約1.5ディナール」などと書き換えたのです。もっとも今思えば、私の実測よりも、日本の不動産屋さんの『80メートル=徒歩1分』を応用するのでしょうが。

 ということで、日本茶の淹れ方、飲み方をネット検察すると沢山のHPなどもあります。でも、「川根 茶 品評会 湯 温度」で検索しますと、上位にくるのは、お茶屋さんが紹介しているものばかりですね。
調べるだけなら、それでいいのですが、せっかく美味しいお茶を作っている地元の農業団体、農協、観光協会、行政などのHPが見つからないのは、やはり寂しいし、残念ですね。
そんな思いを綴りながら、川根茶を、親やご近所の方々に教えられた淹れ方で、美味しく飲んでいます。










  

Posted by fraethou at 13:20Comments(0)